ファッションとは何かについて考えさせられるサプールについて
「健全な精神は健全なスタイルに宿る。」
この言葉を耳にしたことはあるだろうか?この言葉はコンゴ民主共和国のサプールによる言葉だ。サプールとは、平均月収3万と言われるコンゴにおいてその何倍もする高級ブランドに身を包み、街を闊歩する人たちのことだ。彼らはいわば町のヒーローで、一度町を歩けば誰もが憧れの念を抱く。歩き方や仕草も洗礼されていて、独特だ。
サプールにもルールがあり、
・3色以上色を使ってはいけない
・シャツは平和の象徴である白を使う
といったものがあるが、上級者になると3色以上使うものもいるし、
シャツも白以外のものを着ることもある。また、サプールの中にも上下関係が存在し、歴が長いほど偉いとされる。最も歴の長い者は大サプールと言われ、全てのサプールから尊敬されている。
このサプールの始まりは諸説あるが、最も有力とされているのが、社会運動家のアンドレ・マツワが始めたとするもの。西洋の衣服で帰国し、それを現地人が模倣していったと言う説。この国は内戦が多く、悲惨な状況が長く続いた。その内戦を少なくし平静を保つため、平和の象徴であるファッションを流行させた面もあるのかもしれない。実際サプールには争いをしないという厳格なルールがあり、大サプールから後輩へとそのルールはしっかりと継承される。
こういった人たちを見ると、ファッションとは何のためにあるのかということを考えさせられる。実際サプールの人たちは貧しい暮らしを強いられている者が多く、その給料のほとんどを高級ブランドのファッションに費やしている。決して楽とは言えない肉体労働でも、週末にサプールになることができるから仕事は苦にならないとサプールは言う。現代のファストファッションに慣れてしまっている私達からすると、そこまでしてファッションにこだわるのは異様に映る。だが、地球の裏側にいる人たちにとってはファッションとは何が何でも身につけたい物であり、それは他には変えられない価値がある物なのだ。
普段私たちは様々な服をきている。ビジネススーツから私服に至るまで星の数ほどの衣服を着ては消費している。そういった服を着る時、私たちは彼らほど意識をしているだろうか。人間とは不思議な物で最初から与えられていた物についてはあまり考えない。「健全な精神は健全なスタイルに宿る。」冒頭にも紹介した言葉だが、見た目にその人の考えや心意気は現れる。彼らのようにとはいかないが、ファッションとは何なのか考えて洋服を着ていこうと思う。
THE SAPEUR コンゴで出会った世界一おしゃれなジェントルマン
- 作者: 茶野邦雄
- 出版社/メーカー: オークラ出版
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現代に存在した無法地帯 「九龍城」
大学に入学して間もない時、学部の教授の研究テーマが東南アジアで、やたらと面白そうに話すので、僕も調べてみた。すると、世の中には様々な場所があるのだなと思ったのだが、その中で最も衝撃的だったのが香港にかつて存在した「九龍城」だ。
この場所はなんとどこの国にも属さない無法地帯だった。1899年に英国によって中国が租借された際、九龍城は香港にあったのにも関わらず、中国領とされた。だが、九龍城の権利を中国側が拒否したため、この土地は無法地帯となってしまった。
無法地帯だったからドラッグ、盗人、売春の掃き溜めといった悪人のデパートとなるかと思いきや、そうでもなかったようです。確かに治安はあまり良いとは言えなかったそうですが、商店や理髪店から自警団や学校まで存在していて、医者もいたんだとか。ここは国ではないから、何をやるのにも煩雑な手続きや手数料がいらないから、貧しい人にとっては安い給料でも城外よりも良い暮らしができると評判だったそう。
当然建築の基準法などもなく、増築に増築を重ね日中でも日の光はほとんど入らない。当時「九龍城は一度足を踏み入れたらもう出られない」と言われるほど道は迷路のようで分かりづらかった。唯一屋上が日が当たる場所で、子供はよくそこで遊んでいた。
1993年から1994年にこの場所は取り壊されてしまった。理由は主に以下のものと言われている。
・いつ壊れてもおかしくない状況だった
・そもそも無法地帯だった
この取り壊しについてはその現場に立ち会ったという人のブログがあるのでそちらを参照されたい。
この不思議な魅力溢れる九龍城を特集している本がある。幾つかあるのだが、「九龍城探訪」という本が住民へのインタビューも載っていて面白い。実際の生活、九龍城にきた経緯、これからの生活についてが赤裸々に書かれていてとても興味深い。
九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness
- 作者: 吉田一郎,グレッグ・ジラード,イアン・ランボット,尾原美保
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2004/02/21
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バナナ剥きには最適な日々 円城塔
最近やっと満員電車でも本を読む術を身に着けた。うまくスペースを見つけ、他人に迷惑をかけないようにしてそっと本を手に取る。本を見つけたスペースへ差し込む。他人との距離が極限まで近い満員電車では一挙一動全てに気を遣わないといけないから何をするのにも神経をすり減らす。そんな環境で最近読み終えた本がある。それが円城塔が書いた「バナナ剥きには最適な日々」だ。
これは短編集である。非常に難解だが、云わんとしていることはなんとなく感じ取ることができる。遠回しに遠回しを重ねた文体で、中には表記方法そのものが作品の一部となっている作品も存在する。この短編集の中で最も分かりやすいのがタイトルの「バナナ剥きには最適な日々」だろう。AIが主人公で、チェックするのが仕事なのだが、暇すぎてバナナ星人を想像の中で作ってしまったというお話だ。基本的にAIによる一人語りで話が進んでいく。もしAIに思考というものがあったのならばという発想は面白い。これからの時代いよいよAIが人間よりも賢くなってきているから、そのうちこういったことが起こるのかもしれない。でも、AIもまた人間が作ったものである。人間の思考をモデルにしている。だから「バナナ剥きには最適な日々」のAIのように暇や寂しさを感じ、うつ状態にもなるのかもしれない。だからAIが空想の世界で友達を作るようになるのかもしれない。著者が物理学を学んでいたこともあり、とても理系チックなお話だ。この作品だけでなくすべての作品に言える。だが、決してコテコテの理系というわけではなく、適度にバランスが取れていて、この言葉遣いが微妙で不思議な世界観を生み出している。
この本は読んだ人によって感じ方はまるで違うと思う。それはどの作品でもそうだろと云われてしまえばそれまでだが、独特の言葉回し、雰囲気を見てもらえば納得しいてもらえると思う。まだ1度しか読んでいないが、読み返すとまた感じ方が変わってくると思う。それはこれは考えて読む作品ではなく、感じる作品であると思うから。
この作品を読んだのが満員電車ということもありなおさらカオスなものに感じている気がする。次は落ち着いたカフェなんかでコーヒーでも飲みながら読みたい。(笑)
暗闇ダンス
須田剛一という人物をご存知だろうか。知る人ぞ知るゲームクリエイターだ。
彼が関わったゲームは強烈な個性を持っている。普通のゲームでは考えられないデザイン、シナリオ、ゲームシステムから「須田ゲー」と呼ばれている。その彼がシナリオを書いた唯一の漫画作品がある。それが表題の「暗闇ダンス」だ。
この話全体的にクールな雰囲気が漂っている。主人公の海道航はあまり喋らないし、いきなりバイクで夜道を300キロ出して大きな事故になるも取り乱さず淡々と看護師や医者と会話してるしとにかくクールだ。話としてはあまり成立してるとは言い難い部分もあるが、雰囲気だけを見るのであれば最高である。もともと須田剛一の作品は難解を通り越して果たしてちゃんと考えて作っているのかと思ってしまうものが多い。だがそこにあるなんとも言い難い雰囲気は目を見張るものがある。セリフの言い回しや掛け合いも面白く、何も考えずに読んでみることをおすすめする。この作品は決して万人受けの内容ではないとは思うが、一部の人には心に深い印象を残す。
全2巻で価格も通常の漫画とあまり変わらないので、気になった人は気軽にポチってみては?
主人公の海道航。無愛想であまり会話をしないのに、なぜかかっこよさを感じる。余談だが、彼の職業が葬儀屋なのは須田剛一自身が葬儀屋で働いていた経験があるそうで、おそらくそこから来ていると思う。他にも「須田ゲー」に登場するキャラがちらほら出てきたりとファンサービスも意外とあったりする。
コルタサル 「悪魔の涎・追い求める男」
最近ラテンアメリカ文学にはまっている。それはラテンアメリカ文学は夢と現実の境界が曖昧ということが特徴で、僕が書こうとしている小説に内容が似ていると思ったからだ。いくつか読んでみたのだが、コルタサル「悪魔の涎・追い求める男」という短編集は非常に心に突き刺さった。いくつか短編が入っていて、正直前半に収められている作品はあまり興味を引かなかったが、表題にもなっている「追い求める男」と「南部高速道路」の2作品は日本人ではまず書くことができないだろう。この2作品だけでも読むことを勧める。
「追い求める男」は登場人物のドラッグに溺れたジャズサックス奏者ジョニーが特徴的で、作中ほとんど奇行に走っている。基本的に虚言を言うが、彼の考察は物事の新たな見方を提示してくれる。主人公はジャズ評論家で一応彼を評価する立場にあるが、ジョニーとはその人間味に惹かれて友人として付き合っている。読者はそのジョニーとその周りの人間関係、はたまたジョニーの人生観、死生観を聞くことになる。このジョニーは周りの人を振り回し、挙句には鬱状態になり、現実世界で遭遇したらまず関わりたくないタイプであるのにも関わらず、なぜか惹かれてしまう。こういった堕落しているのに魅力を感じてしまうのはなんなのだろう。自分にはないものを持っているからか、だめだとわかっているのに主人公は付き合いを続けてしまう。そういった、何とも言えない話だ。
「南部高速道路」はパリへの移動途中に大渋滞に巻き込まれてしまうお話。一日たってもほとんど動かず、途方に暮れていると周りにいた人たちで不思議とコミュニティができあがる。偶然自分の車の近くの車に乗車していた人たちなので名前が分からいので、乗っていた車の名前で話は展開されていく。しばらくするとリーダーが生まれ、水や食料を販売する車が現れる。コミュニティも変化が起こり始め、少しずつ渋滞中の日常生活にも変化が訪れる。だが、この話すごいのはこの後である。ネタバレになってしまうのでこれ以上は言えないが、なんと言ってもラストが圧巻である。このラストで伝えたかったことはは現代人にも十分に通じると思う。
悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)
- 作者: コルタサル,木村栄一
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LUCKY
昨日友人と「ラッキー」という映画を見た。
設定は至ってシンプル。
死期を悟った老人が、これまでの人生経験を振り返り考え直すというストーリーだ。
主人公の名前がラッキーというのだが、この主人公かなりの現実主義者。というかほとんどただのひねくれ者である。
自分の信じたことしか信じず、他人とすぐ対立する。
彼の行きつけのバーには同年代の友達がいて、みんなと思い出話に花を咲かせる。
でも、すぐけんかになりそうになったりして、とにかく頑固な主人公だ。
この作品のほとんどはラッキーの日常を映しているのみだ。
代り映えのしない毎日をただ見ているのだが、ラッキーが倒れて病院に運ばれた時から話は大きく展開する。
体には何の異常はないのに、なぜか倒れてしまったことを医師に告げられる。
そう原因は「寿命」だ。
どうやら自分にも死が近づいていることを悟る。
すると世界の見え方は変わってくる。
これまでの人生で行ってきたこと、自分の過ち、人生において何が大事なのかについて考える。
この作品では彼の行きつけのバーにいる友人も様々な考察をしている。
特にラッキーの友人のハワードが愛していたペットの脱走に関する考察は興味深い。
それだけでもこの映画は一見の価値があると思う。
落ち着いた雰囲気でほっこりした気分になりたかったらこの映画をぜひお勧めする。
ちなみにこの映画ミニシアターでしかやっていないらしく、
見に行くなら一度このサイトで確認したほうがいい。
何かしら興味を覚えたら、是非劇場へ。
犬が吠えてもキャラバンは進む
テレビやスマホを見ていると、
世の中は決まった生き方しか存在しないような錯覚に陥る。
電車のレールのように決まったポイントでライフイベントを迎えないと
人生で遅れをとったように感じる。
受験、就活、結婚、出産。
一つでも失敗することはできない。
だから「普通の生活」をすることに必死だ。
だってみんなそうゆう人生を送るのだから。
でもそれって、本当にそうだろうか?
例えば今の時代大学全入時代と言われるが、
大学進学率は男子52.1%、女子が56.9%(総務省統計局より)で
およそ半数が大学には進学できていない。
そのうち留年、退学する者も一定数存在する。
さらに就職してから3年以内に離職する人の割合が約3割(厚生労働省統計より)で
未婚率は男性23.3%、女性14.6%(国勢調査より)である。
つまり何が言いたいのかというと、
いわゆる「普通の生活」と言うものは「理想の生活」であるということだ。
「人は何度も繰り返し聞いたことを真実と思う傾向がある(ヘンリック著 影響力の心理より)。」
子供のころから幾度となく「普通の生活」について聞いたり経験したりしているうちに
いつしか「普通の生活」を叶えることに必死になっている。
でも実際は「普通の生活」を送る人生の人は多くないことは前述のデータで示した。
それにこの「普通の生活」を送ることが幸せなのだろうか?
離婚するケースだってあるし、生まれた子供が犯罪を起こすケースだってある。
やっぱり結婚しなければよかったと思っている夫婦だってこの世には存在している。
「『普通の生活』を送ることが幸せ」ということも子供のころから聞かされているが、
それだって眉唾ものだ。
世間の声だけでなく、もう少し自分の心の声に耳を傾けてみてはどうだろうか。
きっとそれが心の処方薬となって、気を楽に毎日を送ることができる。